某有名なハンバーガーショップでバイトしていた頃は、本当に真面目に生きるって損だなって痛感しました。
[kanren url=”https://yuta-silicon.com/majime/”]
例えば、バイトというのは完全に時給なので、その時間居ることに意味があるのです。1時間労働させる権利を販売しているのです。
そして、その時間頑張ろうが、頑張らまいが、給料には関係ありません。
それに、どれだけ頑張っても店長が見ていないときにやっていても給料が上がることはまずありません。
集団の中で働くことに絶望しました
その代わりにこういう集団で評価される方法というのがあります。それが上司に擦り寄ることです。僕が働いていた某ハンバーガーショップもそうでした。
店長がいる時以外適当にやっているのに、店長が来た途端、めっちゃ働いているアピール。めちゃくちゃ白々しいのに、店長は、
「うん、君はいつもどおり頑張ってるね!」
みたいな顔をしちゃっています。
普段店長が居ないところでどれだけやっていようが、給料が減ることはあっても、評価されることは無いのです。
こういうところで働くと頑張ることが虚しくなってくるんです。
よく観察しているわけではない上司がよく目に入る人を評価する
会社も同じだと思います。
特に大きな企業になればなるほど、部下一人一人がどれくらい働いているかとか、どれだけ真面目に働いているかなんてわかりません。
うまいこと、上司がいるときだけ頑張っているように見せて、他のときは他の人に押し付けているようなやつも居るでしょう。
それがサラリーマンとして働く上での能力なのかもしれませんが、僕はこのような世界が嫌でした。
そうやって人が見ていないときだからといって、適当なことをするやつも嫌いだし、まともに働きっぷりを見ているわけでもない人に評価されるということも嫌でした。
このシステム自体が嫌いでした。
人の評価から逃走した大学生時代
僕は人の価値基準で生きることが本当に嫌でした。
なんで、お前なんかに評価されなければならねえんだ!って気持ちにいつもなっていました。
だから、僕は大学時代に人の評価から抜け出そうと、自分でビジネスを始めました。もちろんそれ以外にも色んな理由があって始めました。
ビジネスと言っても、そんな大層なものではなく、アクセスの集まるブログを作って広告を貼るということから始めました。
最初からうまくいったわけではありませんが、このブログビジネスに僕は可能性を感じました。なぜなら、自分がやった分だけ成果として跳ね返ってくるからです。
やらなければ全く結果は出ません。しかし、やればやるだけ結果としてアクセスも上がるし、収入も増えるのでした。
他の人の評価も気にする必要はありません。結果に責任を負う代わりに、すべての判断やすべての行動を自由に行えるのです。
僕は、支配者の中で生きていくことが何よりも不自由でした。僕が支配者から抜けるためにはやはり独立するしかありませんでした。
だから、大学在学中に自分で生きていくには十分なお金を稼げるようになって、個人で独立して生きていけるようになりました。
人からの評価を気にしなくなったら人への評価も全くなくなった
そして、僕は人からの評価から抜け出しました。努力すればするだけ結果として現れてくれます。サボったらサボった分だけ成果も停滞します。
しかし、どれだけやっても上司が評価しないと成果に反映されない雇われることよりも遥かにやりがいを感じました。
また、人間関係を利害関係で見ることがなくなりました。
だって、それを見て「この人に擦り寄らないと!」っていう必要が全く無いし、「この人を利用してのし上がろう!」って言うのもなくなりました。
もちろん、すごい人を見て感化されて負けてられないな!って思うことはよくありますが、この人を打ち負かしてやろう!とかこの人に勝ちたい!って言うより、
「この人のいいところをいかに手に入れられるか!」
「この人からいかに学べるか!」
ということに着目するようになりました。
最後に
ネット上に稼ぐ仕組みを作ることって
「なんで上司がちゃんと評価してくれないんだ」と憤っている人にはおすすめです。
だって、ネット上で自分のブログ記事とかを作るとその後がめちゃくちゃ楽なんです。
[kanren url=”https://yuta-silicon.com/4times/”]
例えばこの記事でも書いていますが、一度人を集める仕組みを作れば、ず〜っとこのブログはアクセスを集め続けてくれるのです。
しかも書けば書くほどアクセスは集まります。また、努力の痕跡がネット上に残り続けます。それがずっとあなたの代わりに働き続けてくれます。