意識高い系大学生という言葉がすごく流行っている。
意識高い系大学生と言うのは、普通の大学生とは異なる行動を取っている異端な大学生のことである。
これは言葉のとおりに、意識が高い大学生のことを表すわけではなく、『系』という言葉に侮蔑の意味が含まれる。
変わった動物は保護されるのに、奇妙な人は排除されるとはおかしなものだ。
今日は、この意識高い系大学生について持論を述べていきたいと思う。
意識高い系大学生の特徴とは?
自分のプロフィールを盛りまくる奴!
名言を受け売りしまくる奴!
やたらと人脈を作り、自慢する奴!
勉強会、異業種交流会をやたらと開く奴!
「いつかは起業したいっす」とか将来のビジョンについて、ムダに熱く語る奴!
ビジネス書を読みまくって、その真似をしまくる奴!
引用:ガジェット通信
こういう特徴がある人が意識高い系と言われる人。そして往々にしてこういう風な行動を取る人の多くは大学生だそうだ。
常見陽平という人が出版した本『意識高い系という病』
この本で意識高い系という言葉が世に広まった。
意識高いのは本来、素晴らしいことなのだけど、頑張る方向が間違っていたり、地に足が着いていなかったりで「うざいなあ」とか「残念だなあ」と思うわけだよ。
気づけば、意識の高い人(笑)になっていたり、「意識高い系」と揶揄される存在になっていたりするわけだ。実際、意識高いかどうか微妙だったりね。
うむ。その前に勉強しろよ、仕事しろよと言いたくなるわけだ。そう、そういう奴に限って、仕事できなかったりするんだよな。
出典:ガジェット通信 常見陽平談
意識高い系というのは、いろんな話や本を見て、聞いて、思考や妄想は高まっているが、その行動が空回りをしている人のことを指すようだ。
意識高い系で何が悪い?
これを読んで、意識高い系が一体何が悪いのかが一切わからなかった。
何にも変わらない日常の大学生活に危機感を持ち、少しでも行動することは悪いことなのだろうか?
「意識高い系のくせに仕事ができない」とかいうやつは「東大生のくせに仕事できなかった、勉強しかできないんだな」とか言う低学歴と一緒。
東大生であることは、勉強の努力耐性の高さを示すもので、普通の一般の大学生よりも幾分も優秀なのである。
今まで求められてきたものが違うわけで、いきなりできないのは当たり前だと思う。
本や講演会に行って、人の話を聞いてその人の思考に感銘を受けたら、自分もその人みたいになりたいと思って、真似したくなる気持ちはすごくわかる。
何が悪いのだろうか?なぜディスられなければならないのだろうか?
勉強しないのが格好いいのか?努力しないのが格好いいのか?
本当にうんざりする。周りで異なる事をした人の足を引っ張るこの国民性。
高校の時、部活の引退が遅かった僕は、少しでも時間を有効に使おうと、昼休みも受験勉強に当てていた。
そうすると、とっくに引退しているサッカー部の万年補欠がニヤニヤしながら近寄ってきて『真面目だなww』という嘲笑をよくしてきたものだ。
軽く馬鹿にした『真面目だな』という言葉。本当に嫌いだった。褒めていると見せかけて足を踏んでくるようなこの感じ。
そして、この『意識高い系』という言葉ももちろん、『意識高い』ということを褒める言葉ではない。意識高い割に結果が伴っていないという状態をあざ笑う言葉である。
「あんなにやっていたそれなのにwww」と言いたい国民性なのだろう。周りの人間は変わろうとする人間をなんとか陥れようとするのである。
意識が高いとすぐに結果を出さなければならないのだろうか?
自分の大学生活の現状を見て、何も変化も得られない大学生活の危うさを感じ、それで行動しようとする大学生の何が悪いのだろうか?
どこかのセミナーに行ってみたり、ビジネス書を読んでみたり、必死に何かを変えようともがいているのである。
そして、その努力がずれることだってあるだろう。野球だって頑張って素振りしたけど、間違ったフォームで素振りをしちゃっていて、間違った方向に進んでしまうこともあるだろう。
なぜ、他人にそこまで厳しく言うことが出来るのだろうか、「意識高い系」と揶揄する人間はそんなに必ず成功している完全無欠の人間なのだろうか?
というか、そもそもビジネス書を読んで言動を真似するという行為が間違った方向に進んでいるとは思えない。
ビジネス書で成功している人の言動や発言を自分に落とし込んで、考え方から入ることが何が悪いのだろうか?
自ら足を運び、講演会に行って、すごい人の話を聞いてその影響を受けまくって、まず言動が変わる。言動が変われば思考が変わるし、思考が変われば行動も変わる。
徐々に行動していければ十分だと思う。
努力しないことが格好いいのか?
頑張ったのに失敗したら、この日本では徹底的に嘲笑われる。死ぬほど勉強してセンター試験に失敗したときにずっと嘲笑われた事があった。
意識高い系大学生と批判している他のやつらはそんなに自分のことが特別だと思いたいのか?そうやって変わろうとする人を馬鹿にして、
自分が人生を諦めるのは勝手、成長をやめて停滞するのも勝手、一生家畜のように生きるのも勝って、
ただ、頑張っているやつの邪魔をするな。
何か変わろうとするやつの邪魔をするな。
意識高い系大学生が失敗していると袋叩きのようにみんなで笑いものにする。自らのつまらない人生の憂さ晴らしかのように、
まるで、観客席で野次を飛ばすおっさんのような人生だ。もはやそんな奴らは人生のプレイヤーではない。観客のその他大勢である。
人生という自分が主役の物語でなぜか脇役を演じる。なんて名脇役なんだ!1度しかない人生で見事に雑魚キャラを演じきっているではないか。
そして、意識高い系と揶揄されてしまっている、または揶揄されることが怖くて自分が意識高い系であることを隠しているあなた。
堂々と胸を貼ればいい。プロ野球選手がいちいちスタンドのおっさんのやじに耳を貸すだろうか?
おっさんが試合中にいくらやじりまくろうが、選手は次の打席のことしか考えていない。あなたは選手なんだ。スタンドのおっさんのやじなんて理屈がない。失敗したら叩く。それだけ。成功したら手のひらを返す。その程度人間である。
一生外野スタンドで過ごす人生を送る人とは違う。あなたは、人生の主役である。主役は困難も待ち受けている。
多少の批判。当たり前だ。主人公には必ず敵がいる。でも、そういう雑魚キャラがいるからこそ我々は主人公になれるのだ。
名言の受け売り?
良いじゃないか!偉人の話を真摯と受け止めればいい。
ビジネス書を読みまくって真似をする?
素晴らしいじゃないか!そのビジネス書が血となり肉となるくらいに読み返せばいい。
そしたら思考が変わり行動に移せるようになる。ビジネスで一番むずかしいのは思考を作るところである。もはやスキルなんてものは、後からいくらでも付けられる。
考え方、思考を先に作ろうとするなんてセンスがいい。
意識高い系大学生よ負けるな。俺が応援する。そして、いろんな考え方を柔軟に取り入れて、一緒にビジネスやろうぜ!