どうもナベヤンです。
「自由には責任が伴います」
国民的ロックバンドであるB’zもこれを歌っています。
Freedom Trainに
「自由は険しいものなのです」
という歌詞があります。
確かにそうかも知れません。でも「自由には責任が伴います」という言葉ってなんか違和感があるんです。
その違和感などを話していきたいと思います。
自由には責任が伴う
たしかにそうですよね。自由は責任が伴います。
例えば、就職せずに自分で稼いで自由に生きていこうと決めたら、責任は全て自分に降り掛かります。
僕も最初就職をしないと決めたときは本当に恐怖でした。
そして、そうやって悩んでいるときに限って周りの人は反対してきます。
とも言われました。でも、僕はココで「ん?」って思いました。
逆に自由じゃなきゃ責任は伴わないのか?
大学までず〜っとそのままの人生を送って来たから、今までずっと親や学校に守られる人生だったから気付かなかったけど、
自分の人生に責任が伴うのは当然じゃないですか?
だって、もし自分の後輩とかが「人生の責任とって下さい!」って来たら?
「自由には責任が伴います」とよく言われますけど、じゃあ自由に生きなかったら自分の人生の責任は取らなくて良いのでしょうか?
これは大きな間違いです。自由に生きていなくても責任は伴います。
そもそも自由に生きることは会社で生きるか、自分の好きなように生きるかの二者択一ではありません。会社で働くことも選択です。
でも、実は毎日毎日あるものを支払っています。
それが『時間』です。
ポーカーに『アンティ』というルールがあります。(ポーカーのルールは知っていなくても大丈夫です。)
アンティというのは、ゲームが進むたびに、『無条件で奪われるチップ』のことです。
(ポーカーは最後にチップが多い方が勝ちです)
責任を負わなくていい人間は、人生の時間と言う「アンティ」を支払っています。
会社に自分の人生を責任を取ってもらっている分その代償はたっぷり払っています。
だって、たった1度しか無い人生なのに、人の言う事を聞いて、人の言われるがままにうごいて、大事な人生を40〜50年差し出すのです。
人生40年と責任の天秤を掛けたら、、
人生40~50年という時間を過ごすと言う事と、責任を負う事。僕はこの2つの天秤を掛けるとしたら、僕は責任を取ります。
他人の人生に責任を取れる人間なんてこの世界に一人たりとも居ないはずです。
それなのに、他人に自分の人生の責任を負わせようとする人があまりにも多い。
「自由には責任が伴う」のは当たり前。
というか、自分の人生に責任が取れるのは自分しか居ない。責任を逃れて人に時間を差し出す人生を送るという責任を果たさなければならない。
僕はそれなら自分の人生を自由に送りたい。自分のやりたい事に時間を使いたい。
人生自由自在だ
僕は自由自在な人生を送りたい。
ほとんどの人は、一応自由だと思う。自分の意思で好きなところに休みの日に行く事が出来る。
他の国では、そういう事は出来ない。インドなんかは、カーストで人生が決まってしまったりする。
だから、日本に居るだけで自由である。
でも、自分の人生をコントロールして、好きなときに好きな事が出来るか?というと、そういう人はなかなか居ない。
自由でも自在ではない。僕は自由自在な人生を送っていく。もちろん責任を持って。
まとめ〜全ての選択には責任が伴う〜
これが正しい答えです。
世の中の常識や社会のレールに乗れば
そして、実際のところ自分の人生に責任を取ってくれる他人なんて誰1人居ない。それなら自分の好きなように、自由にやったら良いと思う。
会社を選ぶのも、時間にも縛られず起業するのも、両方やるのも、なんでもかんでも自由です。